【セサミの呼び声】ーThe Call of Sesameー

ロースクール生が、司法試験までの危機的状況から多少現実逃避をしつつ書く日記。 かなり長い間、文章を書く練習をしていないので文章力皆無です。 これを機に練習していきます。

大阪市長がタトゥーを入れている公務員を懲戒処分に処すことができる理由について考えてみた

少し前に、橋本大阪市長が刺青をいれた大阪市職員に懲戒処分を科すとの発言をし、一時期話題になりました。
この、「刺青を入れた市職員に対して懲戒処分を科せられるか」という問題は、法律論的には非常に興味深いので、少し検討してみたいと思います。

僕みたいなペーペーの法学部生が旧司法試験に合格し弁護士としてご活躍された橋本市長に意見するなど痴がましいにも程がありますが、僕なりに考えてみます。

タトゥーは憲法上保障される人権か

いくら民主的に選挙で選ばれ、大阪市政について包括的な権限を持った橋本市長でも、憲法に違反することはできません。
憲法99条には「公務員の憲法尊重擁護義務」がうたわれており、市長も当然憲法に拘束されます。

そして、憲法13条は以下のように規定します。

憲法13条(幸福追求権)
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

まず、刺青を入れる権利が13条の幸福追求権の範囲内か問題となるわけですが、そもそも幸福追求権とはどのようなものでしょう。

幸福追求権の範囲について、学説は大きく二分されます。

  • 人格的利益説……13条で認められる人権は、人格的生存に不可欠な利益を内容とするものに限られる。
  • 一般的行為自由説……13条は広く一般的行為の自由を保障している。

人格的利益説では、13条はあらゆる自由を保障したものではなく、人格形成にとって重要な自由を保障したものだと考えます。
一方で、一般的行為自由説は、あらゆる自由を13条が保障していると考えるのです。

たとえば、プライバシー権のような重要な権利はどちらの説でも13条が保障していると考えるのですが、「飲酒をする自由」や「散歩をする自由」となってくると意見が分かれます。
人格的利益説だと、「13条はそんなしょうもない自由は保障していない!」と主張するでしょうし、一般的行為自由説だと「あらゆる自由が13条で保障されているんだから、散歩の自由だって保障されている!」というでしょう。

人格的利益説の根拠は「人権のインフレ化」を防ぐことです。あらゆる自由を人権として認めると、人権がインフレ化して逆に人権保障が弱められるのではないかと危惧するのです。
一方、一般的行為自由説は、「人権保障の範囲を限定することこそが人権を弱めているのであって、個人が国家から自由であることが人権の本来のあり方だ。自由の重要性によって保障の程度を変えれば、インフレによる人権保障の弱体化もおきない」と反論するわけです。

さて、それでは本題の「刺青を入れる自由」はどうでしょうか。この場合、僕はどちらの説をとっても13条の保障内に入ると思います。

一般的行為自由説だと、あらゆる自由が13条で保障されていると考えるわけですから、当然「刺青を入れる自由」も13条が保障しています。

人格的利益説だと、一見すると「刺青を入れる自由」は含まないように思います。
「刺青を入れようが入れまいが、別に人格には影響ないじゃん。そんなの単なるオシャレの一環でしょ?散歩とどう違うの?」と思われるかもしれません。
では、一つ例を考えてみましょう。

ある女性が背中に「仏様と仏様の手の中に眠る二人の赤ん坊」の刺青をしていたとします。彼女は現在子供が一人いますが、過去に二度流産を経験し、その子供の冥福を祈る気持ちと、ずっとその子供の十字架を背負う覚悟で刺青を入れていました。

上の事例で、女性にとって刺青は人格的な利益だといえないでしょうか。刺青を入れるという行為には、さまざまな背景や覚悟が裏にある場合があります。たとえオシャレでいれる場合であっても、刺青は容易にはとれないという一種の覚悟を要する行為である点で、自己の個性を実現させ人格を形成する自己決定権の一部とはいえないでしょうか。

そう考えると、刺青も人格形成に関わる利益であり、13条が保護する権利に含まれるのです。

「公共の福祉」による制限

さて、刺青を入れる自由が13条で人権として保障されているなら、原則として制限は許されません。
ただし、「公共の福祉に反する」場合には例外的に制限が許容されます。

刺青の事例でいう「公共の福祉」は、おそらく「タトゥーが暴力団などの反社会的気風を連想させ、公務の信頼を失墜させてしまう」ということを指すのでしょう。
つまり、刺青を入れることは原則として人権の保障内に入るけれども、公務員が刺青をやれば、市民が刺青によって反社会的気風を感じ取り公務への信頼が害されて公共の福祉に反するので、刺青は制限できる、という理屈になるのだと思います。

まず、ここでは現代社会において、刺青が実際に反社会的気風を感じさせるか」ということが一つのテーマになります。

いまや刺青なんて暴力団でなくても全然入れている人はたくさんいます。歌手やスポーツ選手はもちろん、一般的な大学生も善良な市民も入れている人は多いです。
この状況で「刺青が暴力団を連想させて公務の遂行に支障をきたしたり、公務への信頼が確保されない」と主張するためには、それなりの理由と根拠が必要になってくるでしょう。
オシャレ感覚で刺青を入れる時代であれば、刺青をみても「こいつ・・・暴力団か!?」とは思わないわけですから、そういう人が公務をやっていても特に不利益は生じないからです。

なので、「レディーガガだって刺青入れてるじゃないですか」という記者の質問に、橋本氏が「それは歌手だからいいのですが、公務員は別です」と返すのは少し論点がずれていると思います。
刺青が善良な市民でも入れる時代なのであれば、刺青を入れている職員が公務を遂行していても公務への信頼は害されないということです。
とすれば、そもそも職員が刺青を入れることは公共の福祉に反しないのであって、このような職員に対し懲戒処分を下せば立派な人権侵害です。

民間企業ですら処分するんだから、公務員も処分するんだ。という理論

民間企業の例を挙げて、「民間でもこうだから、公務員でもこうするのは当たり前」という論理を橋本氏はよく使いますが、残念ながらこれは理にかなっていません。

結論から言わせてもらえば、民間企業が刺青を入れた社員を解雇しても憲法違反にはなりませんが、国家や市町村が刺青を入れた職員を解雇すれば憲法違反です。

理由は簡単で、憲法は国家・地方公共団体を拘束する法であって、民間企業は憲法に拘束されないからです。

実際に、最高裁判例昭和48年12月12日(三菱樹脂事件)で、最高裁は「憲法第三章の規定は、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」と述べています。

憲法はそもそも国家的権力から国民の人権を守るために、国民が国家に突き付けた法ですので、本来的に国家を拘束するわけです。
なので、憲法の適用を受けない民間企業が刺青を禁止することは許容されますが、人権保護に最大の注意を払わなければならない国家は刺青の禁止をしてはいけない、というのが憲法の論理です。

このように考えると、刺青を理由に何らかの懲戒処分を行えば、憲法違反の可能性は高いと考えます。

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